弘経寺の歴史

弘経寺とは、正式には大鹿山清浄院弘経寺と称し、1414年(足利時代の応永21年)嘆誉良筆上人によって開創された浄土宗のお寺です。一般的に弘経寺と呼ばれています。

足利時代の開創

江戸時代の本堂 江戸時代の本堂

当山は、大鹿山清浄院弘経寺と称し、応永21年(1414年足利時代)に嘆誉良肇上人(たんよりょうじょうしょうにん)によって開創された浄土宗の寺院で、まもなく開創600年を迎えます。弘経寺は、茨城に3か寺あり、取手市白山弘経寺、常総市飯沼と結城市にあります。取手の弘経寺と飯沼の弘経寺は同じ年に建立されました。大鹿山弘経寺は昔、下総国相馬郡大鹿村と言う所で最初は人家もない山中に、飯沼の弘経寺の隠居所としての草庵として建てられたとのことです。

家康の御朱印寺となる

綱吉から賜った御朱印状 綱吉から賜った御朱印状

天正18年、徳川家康が当地に遊猟の際、案内した弘経寺住職の宣誉上人が有徳の僧であったことから、特に境内外三十石の御朱印を授かるに至り、以降大鹿山弘経寺は御朱印寺として格式を整え堂宇の規模も拡大されました。弘経寺歴代住職の中から学徳兼備の照誉了学上人は、徳川家の菩提寺である芝増上寺の住職に上任されています。

※弘経寺につきまして詳しくは下記資料をご参照ください。

大鹿山弘経寺略記(PDF 2.42MB)

弘経寺とは

このページのトップヘ